自己紹介

東大入学までの自分と「自己本位」とめぐり合わせ

ここでは、私がとても感銘を受けた夏目漱石の「自己本位」という考え方について説明します。

自己本位といっても自分勝手、自己中をイメージしたかもしれないけどそうじゃないです。そうではないけど他人ではなく自分のココロを中心において考え行動していく考え方といる、一言で言うと。

どうしてこの話をするのかというと、これは高校を卒業してからの僕の生き方に大きな影響を与えていておそらく今後も生きる指針になるからです。これからどう生きていくべきか悩んでいた当時の僕に一筋の希望をくれたからです。今、何がしたいのか分からなくなっている人たちにも何かヒントがあればと願っています。

わんぱくムードメーカーだった小学校時代

さて、その話をする前に僕の高校までを振り返ってみると、小学校までの僕はとても元気で授業中もいつも大声で喋っている わんぱく小僧 兼 ムードメーカー だった。冬も半そで短パンで校庭を走り回り、女の子はからかっておけばオーケーというような単純明快なアタマをしてた。毎日学校に行くのが楽しくて仕方ない、そんな子供でした。授業の内容は簡単で退屈だから大抵先生や友達にちょっかいを出して遊んでる。でも正義には厚くて悪いことは許さないタイプで先生からも好かれていた方とは思う。

初めての挫折から得た習慣

そんな楽しすぎた小学校最後に僕は中学受験をした。この受験で僕はちいさな挫折を味わった。第一志望校に落ちたのだ。しかし、Wチャンスにかけて補欠者宛郵便の到着予定日、待っても待っても連絡がないので絶望しながらベッドに座っていたらとっても分厚い本が目に留まった。「ハリーポッターと賢者の石」。

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受験勉強中はデカすぎるわー、こんな本読める人が世の中におるんかーと思っていた本。そもそも俺本読むの好きじゃないしー、と思っていたその本が急に目に留まった。なぜかは分からないけど、これまで持ったことない重さの本をそのまま読み始めていった。それは僕が本を好きになる瞬間だった。今でも読書は大好きで本屋や図書館に行くのも大好きだ。引っ越し先の近くに図書館があるかは毎回調べるしkindleも試してみたけどやっぱりいまだに紙の本の方がしっくりくる。多分読み進める感覚が楽しいのだと思う。読書の話でついでに話すと社会人になってからも読書を続けられるかというのは人生においてとても重要な要素だと思う。お金を稼ぐためにも友達と話すうえでも人生を充実させるためにも。考えてみてほしい。もし仮に大学を卒業してもう本を読まなくていいんだーと思う人とその後も将来への投資として本を読み続けられる人ではどれだけ差が生まれるか。1日30分読むだけでも1年間で183時間、40年間で7300時間もの差が生まれる。今の時代はものすごい速度でどんどん新しい技術が生まれてくる。そうした技術を俺はしらねえ、関係ねえといって遠ざける人はとても損をしている。例えばホテルの予約や銀行振り込みなど。そんなおじさんおばさんは周りにもいて信じられないが、読書できないというのはつまりこういうこと。検索スキルを含めて自分で何かを調べる習慣がある人とない人ではこれから雲泥の差が生まれるだろう。そして、スマホで検索するだけでなくて、本を読むことのメリットは体系的な知識が学べること。表面的なことだけじゃなくて根底にある技術だったり思想を学べることで今後の変化も予想できるし、ルールを作る側に回ることだってできるかもしれない。このあたりについては、また別記事で書いていきたい。そんなとても大事な読書だが、必要だと思うより楽しいという感覚を持ち続けられることが習慣として定着させるためには欠かせないだろう。そんな習慣を小学校のうちに持てたことはラッキーだった。というかむしろ嫌いなまま今に至っていたらどうなっていただろうかと思うとゾッとする。そもそもなぜ嫌いだったのかと振り返るとおそらく読書感想文という「強制的なイベント」で触れる機会が多かったからだろう。自分がやりたいと思ったときにやるということがここでも大事だとわかる。

つまらなかった中学・高校時代

話がだいぶ脱線してしまったので元に戻すと、つまり中学受験の小さな挫折を通じて僕は1つ大切な習慣を身に着けることができたということ。そして、受験に失敗したと落ち込んで翌日も読書にいそしんでいると福音が訪れた。なんと諦めていた補欠連絡がやってきたのだ。昨日は補欠郵便の発送日で到着は翌日だったというオチ。ともかくなんとか滑り込みで補欠から志望校に入学することができたのだった。そこは、都内でも有数の進学校で、受験勉強を2年半頑張り何とか入学できた第一志望の学校だった。文化祭に行ってみて自由な雰囲気に憧れていて進学できてとてもハッピーなはずだった。そうして何とか入学した第一志望校だが思ったようにはいかなかった。。。

家から5kmほど離れたその私立校には知り合いが一人もいなかった。小学校も引っ越ししたばかりで誰も知り合いがいなかったが、中学に上がりすでに自我が目覚めていた私にはこの環境が思った以上にキツかった。しかも、まわりの人たちが話す言葉がすべて誰かの陰口のように聞こえた。今思えば思春期だった中学時代、皆血気盛んで意見の合わない奴らはみな敵だという価値観を振り回していたのだろう。小学校時代は周りはみんな友達だったはずが、中学に上がり周りが全て敵に見えた。天国から地獄へ落ちた気分だった。通常ならそれでも入学して一月もすれば周りに慣れていくものなのだろうが、私は頑固だったためか、周囲に屈するものかと意地になり結局中高一貫のその学校を卒業するまでの6年間、友だちはごくわずかという状態だった。休むのも負けだと思い、部活は楽しかったため不登校になることはなかったが、周りの同級生が信用できず人間不信だった。授業の合間の5分休憩が何よりも苦痛で周りの話し声がすべて誰かの悪口のように感じられ机に突っ伏すか授業の予復習をして紛らわすという有様だった。今思えば、この苦痛を紛らわすための予復習や嫌なことを考えないために授業を集中して取り組む姿勢が東大合格につながっていたのだろう。「部活に青春をささげる」と決めていた私は、塾にも行かず家ではテスト前日以外まるで教科書を開かなかった。それでも「すべてをこの一回で覚えてやる」と集中して授業に取り組んだこと(と一夜漬けのテスト勉強)が知識の下積みになっていたのかもしれない。

2度目の挫折から得た生きる指針

とはいえ、中学高校はまるで楽しくない6年間で、最後に訪れた大学受験でも11点足りず惜しくも東大の理一合格を逃した。そして、他にも保険のつもりで受けていた私立も全て落ちてしまった。どこかには行けるだろうと思っていた自分はまさかの事態に放心状態となり、人間不信も手伝って何をしていきたいかわからなくなってしまった。そんなとき、人生に迷ったときはやはりこれかと倫理の教科書を読んでみた。高校時代、ちっとも頭に入らなかった例の教科書だ。まさか人生において再びこの本を手に取ることがあるとは夢にも見なかったがいざ読んでみると意外と面白い。悔しいが面白かった。とくにギリシャ哲学の章と明治の文豪の章。特に、明治の文豪は武士の時代から黒船の来襲を受けて無理やり西洋化をしていった時代に、文豪が苦悩し行動していった経過が垣間見えると感じたからだ。少し無理があるかもしれないけど、それまでのつまらないながらも学校に行けば許されていた時期から受験失敗という経験で一度ストップして自分は何がしたいのかと苦悩している俺自身と少し重なったのかもしれない。その中でも夏目漱石の言葉が目に留まった。

 

わたしはこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。今まで呆然と自失していた私に、此処に立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

※「私の個人主義」から引用

 

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前後の文脈がなかったため、ぼんやりとしか分からなかったものの、なんとなくここにヒントがあるんじゃないかという気がした。そのままの勢いで本屋にダッシュして、「漱石文明論集」という演説集を買って読んでみる。冒頭からその演説を聞いてみるとやはりとても面白い。ちょっと堅い文章だけど止まらない。まるで、数百年間干からびていたミイラに一滴一滴水がしみこんでいくかのように、一つ一つの言葉が心に染み渡りじーんとした。俺はこういうのを求めてたんだー、こうやって励ましてほしかったんだーとしみじみと感動した。

漱石が伝えたかったこと

漱石は、英文学科を卒業し、就職活動をするわけでもなく流されるままに大学・高校・中学で教鞭を取る。しかし、自分から臨んだわけでもなく教えるのに向いているとも思えず、1年ごとに新しい職場を転々と変えながらどこかに不安を抱えながら悶々とした日々を過ごしていた。そうこうするうちに、国家からイギリスへ留学しないかと熱心に誘われ断る理由もなく渡英する。そこで、英文学の本場で英文学のあり方はかくあるべきと押し付けられるが、やはり自分の感性とあわず納得できない。そんなもやもやを抱えていたある日、これは日本と英国の文化や風習、気候などあらゆる違いから起因するもので英国が正しく、それを理解できない日本が正しいというわけではないと悟る。そして、自分の考える文学というものは自分で一歩ずつ積み上げていかなければならないと決心する。そうして、30前後で初めて自信をもって自分の道を切り開いていけるようになった。こうした生き方を「自己本位」と呼んでいる。ただし、自分が正しいと思う道を進む者は同時に他者に対しても彼が自分が信じる道を進むのを遮ってはいけないといっている。それが権利と義務であると。自分勝手に振る舞うことは自己本位とはまるで違うということ。

説明が長くなったけど、こうした彼の考え方に触れて「そうか、自分は自己本位になれていなかったのか」と気づいた。他人を尊重しながらも、自分の心に向き合って自分の思う道を進むことが大切なんだと気づけた。自分の心を偽る限り何がやりたいのかは分からないままだと。そこから自分でときどき日記を書きながら考えを整理して自分が何をしていきたいのかを考えられるようになった。特に気持ちが落ち着かない時は紙なりスマホに記録し整理することで自分の心を見つめ先に進むようにできるようになった。そして、人に対しても自分に向けた分だけの自由を、配慮をという姿勢で接している。その姿勢が伝わるのか、学生時代から少し変わっている(?)けど自分の道を切り開く尊敬できる方たちと仲良くさせていただく機会が増えた。福島の復興に尽力される方や添い寝の研究をする方や仮想通貨の世界を盛り上げる方などなど。皆、生涯付き合いを続けていきたい方々ばかりだ。そういった機会をつくってくれた自己本位という考え方はとても大切にしている。ただし、実は今はそれだけでは足りないと思ってる。

自己本位のその前に

それは、基礎を磨くことと実践すること。そもそも自分のアタマだけで考えることは時間がかかりすぎる。過去に同じような疑問を持ってそれを検証した人がいることも多い。そういった基礎的な部分、「型」をまずは身につけてそこから自分なりの個性を伸ばしていく方が伸びしろが大きいと感じるようになった。「守破離」というやつである。もちろん型を学ぶといってもそれが絶対の正解ではないので、自分のアタマでそれを解釈する必要があるし、自分に合わないと思ったら使わなければ良い。でもそのうえで、これは使えると思ったものは徹底的に使っていく。漱石も英国で自己本位という悟りを得てから日本に帰るまでの期間中、資料をできる限り集めてそれを日本で研究を深めるための肥やしにした。同じように、私も基礎的な部分はたくさん集めて取捨選択し、基礎を固めてから飛躍したい。

もう一つは実践経験を増やすこと。考えることは多くてもそれは実際にやってみないとどんな結果になるかは分からない。だから小さく試して検証する過程をネットの世界でたくさんしながらできることを一つずつ増やしていきたいと思う。

大学に入学するまでの1年間の浪人時代、大学に入学してからの4年間というのは多くの縁に恵まれてとても濃厚だったけれど、それはまた別の機会に。

それではまた。

自己紹介ページ

このページでは自己紹介させていただきます。

東大卒の20代社会人、ともきと申します。

生まれも育ちも東京ですが、社会人となって田舎での一人暮らしが始まりました。人口2万人足らずの町が初めの着任地で、次に人事異動で人口30万の自治体に移ってきました。

サラリーマンになってから、これまでに至る所で耳にしながらそのたびにだっせぇなと感じていた社会人の愚痴の意味について身に染みて実感することが増えてきた。

上司の言うことは聞かなきゃいけない

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